先日、月刊シナリオ教室の誌面でご長寿な二人の祖母たちについて書かせていただきました。
その片方の祖母・ヒサコが他界しました。
米寿手前から六年間、長患いをした祖母・ヒサコ。
食欲旺盛な肉食の女傑でした。
亡くなる一週間前、ひとり病室をたずねた時は、もう痛み止めで祖母の意識は朦朧としていました。
、、、が。
「ばあちゃん、よう頑張るね。さすがじゃ、見習うわ」
と、話しかけたら、目をあけてジロリと私を見返した。
「どうだ。見たか、この生命力!」
と、言わんとしたのか、
「呑気に言うな。痛いんじゃ、こっちは!」
と、言わんとしたのかは分かりません。
ただ、とても祖母・ヒサコらしい反応でした。
終戦の引き揚げでは、ずいぶん苦労して日本にもどったと聞いています。
ワシワシと歩き続けたその足をさすると、祖母の軌跡を少しだけ感じるような気がしました。
それはただ、私の自己満足かもしれませんが。
亡くなったのは真夜中。
その日に限って、家族の誰もが携帯を手元に置いていないというアクシデントが。
みんな、眠らされていたのかもしれません。
祖母・ヒサコはそんな人でした。
女傑らしい、立派な最期。
祖母はひとりで旅立ちました。
真っ赤な薔薇が好きな祖母。
葬儀には、大きな薔薇の花束が用意されていました。
赤いバラに包まれた祖母は、一週間前に会った時と、ほとんど同じ顔。
たましいがある時とない時、何が違うのか。
いくらサービス精神がある祖母も、ひ孫に「何で起きないの?」と棺を叩かれても、目を開ける。
ということはありません。
そうか、ここにはもういないのか。
触った頬がひんやり冷たく、祖母の不在を実感しました。
20年以上前にサッサと逝った祖父が、待ちくたびれて迎えに来ていたかもしれません。
93歳目前に逝った祖母・ヒサコは、一歳でも若いうちに祖父と再会したかったのかも。
ばあちゃん、ありがとう。
あっちでまた、たらふく食べてね。
ちなみに、、、
わたしの文通相手、祖母・サキコは杖もつかずにヒサコの葬儀に参列。
相変わらずの妖怪っぷりです。
この人には、まだまだ長生きして欲しい。
アイロンがけをするサキコ・93歳。